アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

貧困支援に対する一つの答えを見つけた

最近話題にしていなかった貧困についての考えです。

そもそもこの貧困という言葉も支援という言葉もできることなら使いたくないのですが、それだと伝わりにくいので敢えて使います。

以前も書きましたが、貧困というのは絶対的貧困と相対的貧困があります。簡単に説明すると絶対的貧困は生きるのに支障の出るレベルで、相対的貧困は貧富の格差によって生まれます。

ここでいう貧困は相対的貧困のことを言います。

貧困そのものが問題なのではなく、貧困ゆえに生まれる様々な問題があります。

買春、人身売買、臓器売買、強制労働などの被害に会うケースや薬物や違法なものの販売に関わるケース、教育が受けられないなどということにも繋がります。

例にあげたもので教育が受けられないということ以外はある共通点があります。

それは、富めるものが己の欲を更に満たすために経済的に不利な立場の人からお金や人生、果ては命まで絞り上げているということです。

ということは貧困を作っているのは経済的優位な人達ということになります。

もちろんお金を持っている人間が悪い人だというわけではありませんが、お金の使い方によっては経済的に不利な人たちを苦しめることになるのです。

その食べ物はどこかで農業をしている人が作っていて、着ている服は絹をつむいだり織ったりする人がいます。スマホの金属は採掘場で掘り出された金属です。電気などのエネルギーも石油を燃料にしています。

その長い道のりの中で作った物を買いたたかれる人や少ない賃金で過酷な労働につく人がいます。

貧困という人々の上に富める人ががあぐらをかいていてはいけません。

そこで僕が言いたいことは自然のサイクルの中で生きるということです。

それは環境に負荷をかけない生活とも言えます。食べ物は自分で作ったり近くで採れたものを食べる。電気やガスなどの化石燃料を元としたエネルギーの使用を控え、薪や太陽光などのエネルギーを利用する。プラスチックなどの石油化学製品ではなく、木や紙、土などを原料とした自然に帰りやすい製品を使う。

自然のサイクルの中で生活すると歩いて行ける範囲の中で生活に必要なもののすべてが賄えるようになります。

それが最大の貧困支援なのではないかと思います。

もちろん石油や石炭を全く使わず、電気も使わずという江戸時代のような生活に戻ることはできません。

しかし、その事実を知り、少しでも実践に移していけたらすべての人が本当の豊かさに近づいていくのではないでしょうか。