たびたび近所のおっちゃん達に飲みに誘われることがあり色々な話を聞くのですが、その中でも僕が面白いと思うのがおっちゃん達が若いころの話です。
「わしの子供の時分にはなぁ、鉈を持って山登っていってなぁ、途中アケビとかあるんじゃ、あれが甘くてのぉ、あとむかごな。木の実を食べてた。山を越えてくると暑いからなぁ。そん時にイタドリをしがむと酸っぱくて食べてた。うまいもんじゃないけどのぉ。」
「そんで山越えたら海があるじゃろ?針と糸はもってて、そこらの竹に糸括り付けて釣りをするんじゃ。アジやらチヌ(クロダイ)やら釣れての、あー、あとこんなでっかいアワビもとれての。」
「そんでのぉ。そこいらの枝集めて火焚くんじゃ、そんで焼いた魚はうまかった。」
・・・めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか。
今の時代で同じことをしようとすると銃刀法、漁業権、消防法、窃盗罪、不法侵入、青少年保護条例、その他条例に引っかかってきそうです。
もちろん必要に迫られて作られた決まりであり、そのおかげで安心して生活できるということはあります。しかし、そのせいで起こる危険にも目を向けたいのです。
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刃物は年々規制が厳しくなり今では6㎝以上の刃のある刃物はもてません。
昔の子供達は肥後守という折り畳みナイフを常備していましたし、鉈や槍を持つこともありました。
竹や木を加工して弓矢や竹馬を作ったり、釣った魚をさばいたり、手作りの罠を作るために刃物を使いその罠で捕まえた小動物や鳥を捌いたりすることもありました。
その辺で焚火をすればすぐに消防車を呼ばれてしまいますが、昔はそこらじゅうで火を焚いていました。
料理をするのも、風呂を沸かすのも、暖をとるのもです。火は生活に欠かせないものです。
刃物と火。この2つは特に生きるために欠かせないものなのに、まともに使える人の方が少ないでしょう。
斧や鉈で木を割り、ライターから焚火をおこすことが出来る人は少なくとも僕の周りには100人に1人もいません。
今の世の中刃物や火を使わなくても生きていけますし、怪我も火事の心配もなく安全かもしれませんが、使う状況は突然やってくるかもしれません。
うちは薪生活なのでやってくる友人には薪を割ってもらうのですが、鉈を使ってもらっても使い方を知らずに無理な力をかけて手を怪我したり、火の特性を知らずに近くに燃えやすいものをおいていたりと危うい状況もありました。
安全のための決まり、そして刃物も火も触らなくても生活できるという今の環境がいざ刃物や火を使ったときに危険を生むのです。
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先ほどのおっちゃんの話のように自然の中は食料調達の場でもありました。山の木の実や山菜、川、海の魚や貝など食べ物は意外なほど近くにあります。
しかし自然と関わることが減りいつ、どこに、どんな食べ物があり、何が食べられるのかという知識、経験、勘は廃れていく一方です。
スーパーに売っている食料品は食べ物のわずかな一部であって本当は食べれるものは沢山あります。
食べ物と認識できる範囲が広ければどこでもどんな時でも生きやすくなります。
また、昔は近所の農業用のため池、防火水槽で泳ぐ子供達もいました。木に登ったり、山に入ったりするなかで、運動神経も鍛えられました。
今では水辺は危険だといわれ立ち入り禁止になり、木登りどころか遊具ですら危険だと廃止になり砂場と鉄棒だけの公園も少なくありません。
危険なことを知らずに生きているといざ身体を動かそうとしても思うように動かせずに怪我をします。
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ある程度の危険は経験しておく必要があります。食べ物であれば食べられない草は苦みやえぐみが強いものが多い、腐れば酸味が出ることなど。
川の流れの力は想像以上に強く人の力では歯が立たないこと、高いところから飛び降りるのは自分の力ではどこまで行けるのか。
ただ何もかも禁止すれば人としての能力は下がる一方です。それよりも良く知っている人についてもらい、少しずつ試して自分の限界とどこからが危険なのかを知っておく。それが、本当の安全につながるのではないでしょうか。