アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

お金と人間関係の価値を比べる

価値のあるものというとまずはお金をイメージします。それから宝石、貴金属、高級車。家や土地、美術工芸品など。

形あるものには値段がつけやすく分かりやすいです。これが一つ目の価値。

二つ目の価値は技術、知識、経験、学歴、資格など形のないものでそのほとんどは自分の価値を高めるためのもの。

僕の仕事は庭師ですが、樹木や石など物を売ることもありますが、ほとんどは剪定や特伐、作庭など技術を売る仕事です。

そして三つ目は人間関係の価値。

しかしこの人間関係の価値というのは値段がつけられるののではなく、お金に変換できないので分かりにくい。

数字として目に見えないので資本主義の世の中ではないがしろにされがちです。

最近軽トラの車検を受けたのですが、ネットで近くて、早くて、安いところを探していました。

そうするとたくさんの候補が出てきてその中から選ぶのですが、そうするとお金と時間が判断基準になります。

そこで車検を受け付けている店ではほかの店と差別化をはかるためにオイル交換無料とか車内クリーニングとかBOXティッシュをつけたりと各種サービスするわけです。

でもそれは全てお金に変換できるものです。

お客さんの立場で金額は少し高くて、時間もかかる、でもここの人は良い人だからという判断をする人は少数だと思います。

そもそもネットで選んでいる時点で人柄を判断することはできません。

人間関係で選ぶ店として分かりやすいのは飲食店でしょうか。

ファミレスとかファストフードを人で選ぶことはほぼないでしょうが、居酒屋やスナック、小さな定食屋ではその店の人や常連に惹かれて店を選ぶことがあります。

お客さんが来てくれるのは料理の味や値段だけでないそこに人間関係という「価値」があるからです。

人間関係とは人と人の間のものなので、相手が組織になりそれが大きくなればなるほど薄くなります。

ヨドバシカメラやマイクロソフトに物やサービスの信頼はあれど、人としての信頼を感じる人はいないでしょう。

今でいう大企業というものが少なく、多くの商売は個人や小さな会社だったころは、洗濯機が壊れたから友人の電気店で修理をしてもらおう。とか生活必需品はあのおばあちゃんの商店で買おう。とか人を基準に選ぶことも多かったのです。

売る側からしても買い手との人間関係があれば利益だけを求めることはなく「この人のためなら」という思いで仕事することができます。

商売関係だけでなくて、自分の畑で作った白菜が沢山出来たからあの人に持って行ってあげようとか、農作業手伝ってもらったとかお金のやり取りが全くないこともあります。

これはお金だけに頼らなくても人間関係の価値で生活しているということです。

少し話は変わりますが、お金で商品を買うときはお金と商品を交換するのですが、広い視点では「価値の上乗せ」のように思います。

例えば1万円を持っているAさんがその1万円で家具職人のBさんから椅子を買います。

Bさんはその1万円で蕎麦屋のCさんのところでそば打ち体験をします。

Cさんはその1万円で庭師のAさんに庭の手入れをしてもらいます。

Aさんのところに1万円が戻ってきましたが、交換であれば元に戻っているということになりますが、不思議なことにAさん、Bさん、Cさんにはそれぞれ、椅子という物、そば打ちという経験、手入れされた庭という「モノ」が残ります。

これはお金に「モノ」の価値を上乗せしたということになるのではないでしょうか。

それは人間関係にも同じことがいえると思います。

言葉では言い表しにくいのですが信頼や愛情のようなものが上乗せされるといえます。

お金を得るために人間関係をないがしろにした商売をすること、仕事を最優先して人付き合いを極端に減らすことでお金は得られるかもしれません。

しかしそこで得たお金の価値と失った人間関係の価値どちらが重いのでしょうか。

最低限生きるためのお金を稼いでいて、そこからは楽しみのためにお金を使うわけですが、お金を使う喜びは楽しみの共有できる人間関係あってのものです。

逆にいえば人間関係に恵まれた人はお金に恵まれていなくても喜びを感じることが出来るでしょう。

もちろん生きるためにお金は必要ですし、お金が多い方が人生の選択肢が広がります。

ただし人間関係とのバランスを考える必要があります。

人間関係の価値は数字で測れるのものではないので己の感性で感じるしかないのですが、今一度人間関係という「価値」を見直す必要がありそうです。