アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

田舎暮らしのきっかけ その1 タイの田舎から始まった

僕が田舎暮らしをすることになった理由それは一つの「答え」がそこにあったからです。

もともとは庭師の仕事を京都で営んでいました。仕事は軌道に乗りこの先も順風満帆であるように感じました。

しかし安定というのは退屈なもので30歳を手前にして、このままこの人生を歩んでいてもいいのかという疑問もわいてきました。

話はさかのぼること10年ほど前、学生の頃は長期の休みになるたびにアジアの国にバックパッカーをしていました。

カンボジアやインドなど旅した時、その時初めて「貧困」を目にしました。

中でも強烈な印象を受けたのは物乞いの人たちです。

ある人は手も足もなく台車にうつぶせて肘までの腕を使って這いずり、施しを受けるための空き缶を口で咥えていました。

またある人は病気によるものか顔や体が変形した人、骨と皮だけになった人、幼い子供。

今考えればこの時目にしたものは旅行者が触れるほんの一端であり、お金がないから物乞いをしているという単純なものだけではないのですが、とにかく衝撃を受けたことは事実です。

しかし日本に帰ってみれば安心安全の世界。どこかで別世界のことのように感じていたのかもしれません。

何かしたいという思いはあれど、自分ではどうしようもない。その力はないと考えていました。

自分は本当は何をしたいのかと考えたとき、あの物乞いの人たちのことが目に浮かんできました。

自分は満ち足りた生活をしているだからあの人たちに分けてあげれたら。そんなことを思い始めたのです。

それから貧困についての本を読み漁りました。貧困、人身売買、児童買春、臓器売買、強制労働、物乞い、ストリートチルドレン。

世の中には貧困から発する問題が沢山あります。物乞いの人にただお金を与えても有効な使い方ができるとは限らない。また貧困ビジネスというものも存在し元締めにお金を搾り取られるだけの悪循環にもなりかねない。

募金も悪徳NGOが存在し本当に必要としている人まで届くかわからない。調べれば調べるほど何をすればいいか分からなくなりました。

そんなことを考えていたある時お客さんの中にタイの山岳民族のもとでボランティアをしているという人がいました。

ここで一つのきっかけを掴んだように感じました。

そのつてをたどってタイにむかったのです。部屋も解約、持ち物も処分し、植木屋の仕事は辞めました。小さいことで迷うくせに大きな決断はいつも早いんです。

タイではいくつかのボランティア活動を行う団体をみてきました。そこでたくさんの「支援」をしている人たちに出会いました。

支援物資としては古着や文房具、お菓子、お金。学校や水道設備。技術提供など支援にもいろいろな形があります。

すばらしいと思う活動をされている方にもたくさん会いました。

しかし一方で疑問を感じることも多かったのは事実です。

一例としては子供達の喜ぶ顔が見たいためにおもちゃやお菓子を与えること。

既成のおもちゃを与えて遊びを自分で作りだす力を奪ったり、糖分や油分の高いお菓子により健康を害したり、虫歯になったり今まででは考えられなかったことが次々と起きています。

また自分の功績を形に残したいという気持ちから、学校など形に残るものを作りたいと思う人は多いですが、維持管理を誰がするか決まらず廃墟同然になったりと支援しているのか悪影響を与えているのか分からないものも多くありました。

単純に 支援している=良いことをしている わけではないことに気づきました。

目的自体の意味について疑問をもち、更に何をするべきか分からなくなり、何もしない方が良いのではないかとも考えました。

それからは支援は抜きにして現実を見ることに注目したのです。

山岳民族の知り合いを辿っていき田舎の村に遊びに行くようになり、家にも泊めて貰えるようになりました。

畑仕事を一緒にしたりお祭りに参加したり生活を共にすることで山岳民族の現実と考え方を少しは理解できたと思います。

そのつもりはなくても今までは色眼鏡で見ていたところがありました。そもそもこちらが支援対象として見ていることが間違っていたのです。

ここで一つの気づきがありました。

逆説的な意見ですが、支援者が「支援対象」として見るから貧困が生まれ、支援を受ける側も「支援されている」と考えるから自分たちは貧困だという意識を持つということです。

汚れた服を着ていることや隙間だらけの家に住んでいることを「かわいそう」だと思ってはいないでしょうか。

その「かわいそう」と思う気持ちが貧困を作る一端となります。

山の生活は農作業などで汚れることが多いです。お洒落で動きにくい服を着るより汚れても気にしなくてもいい動きやすい服を着る方が理にかなっています。

家に隙間があっても暖かい国で湿度も高いので風を通す必要があります。薪の火を使う家では煙を逃がすために隙間が必要です。

僕はお洒落な格好をすることや高気密断熱住宅に住むことの方がいいとは思えません。

いくらお洒落でも動きにくい服は血行が悪くなり疲れますし肩も凝ります。汚れを気にして生活するもの疲れます。

気密性の高い家は暖かいですが、息苦しさを感じます。気密性が高すぎて空気が滞るため常時換気扇を回し空気清浄機を取り入れシックハウスなどのアレルギーを起こす危険があるなんておかしいです。

この生活の方が自分たちで自分たちの首を絞めている「かわいそう」な生活なのかもしてません。

しかし誰もが自分の生活がかわいそうだなんて思いたくありません。それどころかその生活が「良いモノ」だとしてその価値を押し付けているのです。

自分たちの生活や使う物、食べるものの方が優れているなんてことはなくその土地や風習にあった最適の生活や道具、食べものがあるはずです。

僕たちの生活にはどこから来たものか、誰が作ったものかわからないものに溢れています。

普段何気なく使っているものの中には立場の弱い人に負担を強いるものがあります。

例えばチョコレート。チョコレートの原料カカオの生産に人身売買や強制労働が関わっていることがあります。

コートジボワールやガーナなどのカカオの生産地では200万人以上もの子供たちがカカオの生産に関わっていてその中には外国から攫われたり家族に売られたりして働いている子供たちもいます。

立場の弱い人たちは管理され極度の貧困のためその生活から抜け出すことができません。

生産量の増加や投資家による投機行動により価格変動が起こればメーカーは賃金を下げます。

そしてそのしわ寄せは最も立場の弱い人のもとへ押し寄せます。

そして得られる利益は最も立場の強い人のもとへ吸収されます。

僕たち消費者も間接的に人身売買や強制労働に関わっているのです。

会社が大きくなればなるほどそこで働いている人の生活は見えなくなりただの「数字」になります。

物を売るために犠牲がでても自分の利益のためなら見えぬふりをするのです。

タイでは農薬を作るメーカーがそのほとんどを農業で生計を立てる山岳民族に農薬を売っています。

農薬に関する知識の少ない人も多く、また文字の読めない人もいるので適切な使用量が分からず散布し過ぎるということもあります。

農薬は作物を食べる虫を殺すので一時的に収穫量は増えます。それを喜んだ農家の人は撒けば撒くほど良いモノだと思い過剰に散布してしまうのです。

過剰な農薬は生態系のバランスを崩し、益虫(害虫を捕食する虫)を殺し、農薬に抵抗を持った害虫を発生させます。

その害虫を殺すためにより強く、多くの農薬を使用するという負のスパイラルに陥っているところもあります。

あふれ出た農薬は川に流れ込み川に住む生き物を殺し、川遊びする子供達が皮膚病になる事例も発生しています。

これは消費する農家の責任ではなく物を売るメーカーの責任だと思います。

知識のない人に対して不利益を隠して良いところだけをアピールする。

農家はお金を失うだけでなく健康も害し、生活も苦しくなる、魚とりで生計を立てていた人の生活も脅かし、子供達は皮膚病に苦しむ。

詐欺は罪になるのになぜこれが罪にならないのかわかりません。

タイで支援活動をしようとして最初に感じたのはこれらの疑問でした。

こんなことを書いているとやっぱり貧困だと思うかも知れませんが、これはほんの一部で山岳民族の土地は穏やかな時間の流れる良いところです。

次回はそのあたりを書いて行こうと思います。

その2へ続く 田舎暮らしのきっかけ その2 山岳民族から教わったこと - アサメシヤ