日本は島国なので国境は海の上にあり、あまり国境を意識することもないでしょう。
しかし、世界には国境が陸続きという国は多く、国境は管理され基本的には許可なしには自由な出入りは禁止されています。
僕が旅したインドでは数百の民族がいて言語もそれぞれの言語があり、同じインド人同士でも言葉が通じないことがあります。
インド人のイメージと言えば掘りの深い顔のアーリヤ系でターバンを巻いてカレーとナンを食べているといったところでしょうか。
まず、ターバンを巻いているのはシーク教の人でインドでは2%ほどです。意外と少ないんですね。
インドで最も多い宗教はヒンドゥー教で80%、続いてイスラム教で13%です。もちろん彼らはターバンを巻いていません。
それから今年僕が旅したナガランドやアルナーチャルプラデーシュなどの東北インドには日本人と同じモンゴロイドが住んでいます。
彼らの宗教はキリスト教が多いです。食生活はカレーは食べますが、ナンやチャパティといった小麦よりもお米を主食とします。
どうでしょうか?インド人のイメージとは違うと思います。
宗教も民族も文化も言葉も違うのに一つの国になれば、少数派は押しやられ多数派が国の舵を切ることになります。
そこで不満のたまった少数派と少数派を抑え込みたい多数派との間で争いが起きます。
実際にヒンドゥー教とイスラム教の対立からヒンドゥー教であるインドとイスラム教であるパキスタン、東パキスタン(今のバングラデシュ)に分かれました。
この場合便宜上土地に国境が敷かれますが、宗教、つまり思想の国境と言えそうです。
もし自分がその国の少数派で迫害される立場にあるとしたら自分の国を好きになれるでしょうか。むしろ嫌いになって反乱を起こすかもしれません。
土地に引かれた国境線というのは差別や確執を生むものでもあるんですね。
では土地に引かれるものではない国境とはどういう物でしょうか。
例えばユダヤ人は今はイスラエルという国がありますが、その前は国土のある国を持ちませんでした。
更にユダヤ人というのはユダヤ教を信じる人であって人種も様々で住んでいる場所も世界中にいます。
彼らには国土がなくてもユダヤ人としてのアイデンティティがあり、住んでいる土地がアメリカでも日本でも自分はユダヤ人だといえるはずです。
またインターネット上にも国が存在します。旧ソ連の国エストニアは電子政府を始め、インターネット上だけで会社登記や納税、選挙ができます。
外国人でもエストニアの電子住民になることができてネット上のサービスが受けられます。
それにより日本人が日本に居ながらにしてエストニアで会社をおこし収益を得ることも可能です。
人類は車、船、飛行機、より早く移動する手段を手に入れ世界を小さくし、インターネットによって世界中がリアルタイムでつながるところまで来ました。
これからネットの通信速度が上がれば更に国境という垣根は低くなっていきます。
更に未来に「どこでもドア」が開発される可能性は0ではありません。
そうなれば国境の意味はなくなってくるでしょう。
国境は土地に引かれるものではなく思想などの仮想的なものになってくるはずです。
皆さんは国境とはどんなものだとお考えですか?