アサメシヤ

庭師の目線で見る世界

田舎暮らしのきっかけ その3 使う生活からつくる生活へ

タイ生活には終止符を打ち、京都の田舎、綾部に住むことになりました。

何もない田舎といえばそうかもしれませんが、山があり、田畑があり、獣や虫がいて自然があります。

マムシ採りの名人や炭焼き職人、味噌や梅干しを作ったり、都会にはない生活の知恵も沢山あります。

生活に関することは田舎にこそあるのです。

それは言い換えれば使う生活ではなく、つくる生活だと言えます。

食べ物を買うとき、出来あいのものや外食をすれば使う生活で、食材を買って調理すれば半分だけつくる生活。そして、畑から育てればつくる生活。

お湯を沸かすとき、水道の水をガスコンロで沸かせば使う生活、井戸水を汲んで薪で火を焚いて沸かせばつくる生活。

服がほつれたとき、新しい服を買うのが使う生活、針と糸で補修するのがつくる生活。

消費社会といわれる現代は生産活動と消費活動にはっきりと線が引かれています。

企業がモノを生産し、家庭で消費する。モノとは食べ物や衣料、電化製品などはもちろん。電気、ガスなどのエネルギーやテレビ番組、各種サービス業のことです。

仕事をする人がモノを生産して、仕事じゃない時にモノを消費する。そんな線引きがあるように感じます。

僕がタイの山で気づいたことは都市での生産と消費の考え方とは全く反対のものでした。

まず、生産するから消費するのではないのです。消費するから生産するということです。

どういうことかというと、例えばお腹が空いたとき。

料理を作ろうと思う→薪が無いので薪を割る→香辛料が足りないので畑にトウガラシやニンニクを植える→運ぶための入れ物がないので竹を編んで籠を作る。

このように足りないからつくるのです。

そして、そのつくることは生活の一部であり、消費と生産の境界は曖昧です。

料理をしながら薪を割り、自分の畑から野菜を収穫し、水遊びしながら魚を採る。

生産することは本来は仕事ではなく生活なのです。

都市での生活の場合必要だから買うとは限らず、モノを欲しいと思い、買う。それから使う。これでは消費しない不要なものもたくさん買ってしまいます。

無駄なものを買うということはそれだけゴミを増やし、エネルギーを消費します。

それでも企業はたくさん売り、利益を得るためにコストの安いプラスチックなどの自然分解しにくい素材を使い、東南アジアの物価の安い国に工場をつくり、規制が緩いために大量の環境汚染物質を排出し、大量のエネルギーを使って運んできます。

そこで、僕のテーマともいえる貧困問題ともつながりが見えてきます。

安い賃金で大量の労働力を得ようとすれば、暮らしの貧しい人達を働かせます。しかし彼らの生活水準が上がると賃金をあげなくてはいけなくなるためにわざと生活ギリギリの賃金にすることがあります。

他にも強制労働や児童労働に繋がることもあります。

また、水質や大気が汚染されれば農作物や漁業の収穫量が減り苦しい生活を強いられる人もいます。

タイとラオスの国境に流れるメコン川では上流の中国がエネルギー確保のために巨大なダムをつくりました。

結果水量が減り、上流からの栄養分も流れて来なくなり、魚が減ってしまい周辺で漁業で生計を立てる人たちの生活が成り立たなくなりました。

環境汚染は直接人間にも影響を及ぼします。

食べるのに苦労しない生活水準をもっていても病気になれば医療費がかさみ満足に食べることのできない水準の貧困に陥ってしまいます。

そして一度その状態になってしまうと生活水準を戻すことは難しく麻薬取引や買春、人身売買などの犯罪に手を染めたり、巻き込まれる可能性が高くなります。

あらゆる事は影響しあって何気なくコンビニで買ったパンがインドの小麦畑で撒かれる農薬により病気になる人を増やす原因かもしれません。

僕も仕事で時間がない時は食事を外食やコンビニで済ますこともあります。電気やガスも使いますし、交通のための燃料は使っている方だと思います。

全てをつくる生活にできなくてもモノを買うときそれがどう影響するのか、どこから来ているのか考えるべきだと思います。

本来は食べ物やエネルギー(薪や水車)は自給できるもので人が歩いて移動できる範囲で地産地消していました。

現代は地球の裏から食べ物が運ばれ、海底から化石燃料が掘り起こされています。

資本主義社会の中ではそれがよりお金を生み出す良いことなのですが、地球全体から見れば化石燃料は減り続けています。

使い続ければいつかはなくなります。更に化石燃料を使用すれば最終的には熱エネルギーとなって排出されます。

また、海底に固定されていた二酸化炭素も空気中に放たれることになり地球温暖化を進めるでしょう。

これらを解決するカギが「つくる生活」だったのです。

そしてなによりこの生活は楽しく、生きている実感を得られます。

食べ物とエネルギーを作り出すことでモノが買うことが出来なくなっても生きていけるという自信と安心感もあります。

僕の田舎暮らしのきっかけはその1で書いた「思い込みの貧困」 田舎暮らしのきっかけ その1 タイの田舎から始まった - アサメシヤ

その2の「食べることの大切さ」「人とのつながり」 田舎暮らしのきっかけ その2 山岳民族から教わったこと - アサメシヤ

そしてその3の「つくる生活」

タイの山で感じたこれらの気づきが田舎暮らしを始めるきっかけとなったのです。