ここ一年アジアの貧困と向き合っていますが、数々の支援団体ともお会いしてきました。
皆さんそれぞれの考えのもと彼らと向き合っています。
共通した思いは、彼らの生活を豊かにしたいという気持ちです。
「豊かな生活」は人によって感じ方に違いがありますが、豊かさとは物質的なことではなくて・・・なんて話を書くとそれだけで記事が埋まってしまうので今回は置いておきます。
今回は彼らの自ら進む道を塞ぐんじゃないかと思った支援、そしてどうすることが彼らが自ら「豊かな生活」を築いていけるのか書いていきます。
僕たちは彼らに何を渡せるか
貧困には絶対貧困と相対貧困がありますが、絶対貧困の場合食べるものなどにも困る状況なので余裕が生まれるまでは食料支援など一方的な支援となります。
また震災や津波のような一時的な災害での支援も一方的な支援になります。
ここでは相対貧困を前提として話を進めていきます。
お金を渡す
山岳民族を支援する施設を訪れたときある支援者と出会いました。その人は中小企業の社長で何度もその施設に訪れていて毎回高額の寄付をしているそうです。
寄付をするのは良いことです。
「金で解決しようとしてる!」
「金だけじゃなくて汗水たらせ!」
など野次を飛ばす人もいますが、お金で解決できるならそれが一番です。プロセスを気にしているほど悠長な問題ではありません。
目の前で急に倒れた人がいたら119番しますよね、まさかバスで病院に連れていく人はいないと思います。
しかしその時お金を渡すことに疑問を感じました。それはこの人は本当に彼らの生活を見ているのかということです。
その人の言葉の端々からは「お前たちは俺が助けてやらないといけない」とでも言っているかのような感覚を覚えました。
それは正義感の強いその人なりのやさしさなのかもしれませんが、その考えではお金彼らを自分に依存させるような支援の仕方になってしまいます。
実際に行動にも表れていて子供たちに直接現金を渡したりもしていました。
子供たちはそれをどう受け止めるのでしょうか? ただのおこづかいくらいに思っているのならいいのですが、「自分たちはお金をもらって助けてもらわないと自分たちの力で生活することもできないんだ。」と思ってしまう子もいるかもしれません。
そうなってしまえば彼らの生きる力を奪ってしまう結果になります。
お金は人を助けることも凶器になることもあります。
物を渡す
未だに古着や文房具を送ってくる人は多いですが、服も文房具にも困っているのは昔の話で、現代は貧困だけどスマホや車を持っているなんてこともあります。
「そんな贅沢な物もってうそつき!」
別に嘘をついてるわけではありません。スマホや車がないと仕事ができないという理由があるんです。
スマホ、車ありきの現代社会のしわ寄せがここに表れています。便利になるために作られたものが人を苦しめることもあります。
僕たちは何かを渡すことで先の先にどうなるのか考えぬかねばなりません。
例えば大量の服を渡したとします。もらった人はタダで貰えて喜びますが、地元で伝統衣装を作っていた人は仕事がなくなり家族と共に路頭に迷い、更には伝統衣装の文化まで無くなってしまうかもしれません。
「お金より物のほうが温かみがあるし、それに自分の使っていたものを使ってくれるならうれしい。」
渡す側の気持にはそんな気持ちもありますが、それでは自分の気持ちを大事にしているだけで本当に相手のことを考えていることにはなりません。
「オホホ、これは○○っていうブランドのバックで高級レザーでこのアクセサリーチェーンがアクセントなのよ。オホホ、もういらなくなったからあげるわ。いいわねこんな高い物手に入らないわよ。オホホ。」
と言ったかどうか分かりませんが、そんな感じのバックまで入っていたのは驚きました。
お金を渡し現地で物を買った方がコストもエネルギーもムダも少なく、現地の企業への貢献にもなります。
自分たちのための支援なのか、彼らのための支援なのか間違えないことです。
労働力を渡す
実際に現地に行って一緒に働くことは彼らの生活や経済状況、教育レベル、食生活、考え方を知ることができるいいチャンスです。
しかし大勢で行って現地の人とは関わらずに自分たちだけで作ってしまったら物を渡しているのとかわりません。
使い方や維持管理方法のわからないもの、その後の運用考えずに作った物は巨大なゴミを作っているようなものです。
労働力は現地にもともとあるものなので、その体験を通して現地で何が必要が考えることがポイントです。
知識を渡す
知識を渡すことは長期的にみれば一番彼らのためになることだと思います。
それは僕たちが考えるような知識とは違う彼らのために最適な知識です。
彼らが抱えている問題を解決できる知識や今あるもので生活していくための知識、現代社会とうまく付き合っていく術、自然や文化を大事にすることの重要さなどの自分たちの力で生きていくための知識です。
間違った伝え方をすれば、自然環境を汚染し、自分たちの文化を捨て、消費社会に向かっていってしまうかもしれません。
実際ほとんどの場合その方向に向かっています。
彼らにとって必要な知識は僕たちと同じものではありません。
貧困支援ボランティアは「ヘルプ」より「サポート」
人は誰かを助けようとするとき相手や周りの人に気づいて欲しいのでついついしゃしゃり出てしまいます。
でも結局それは自分のためにやっているんです。彼らのためを思うなら彼ら自身が主体で動き、僕たちはそっと見守るくらいが丁度良いのです。
彼らも情熱をもって、考え、行動し、自らの「豊かな生活」を造っていくことができます。
僕たちはたまたま先進国に生まれたので彼らを「サポート」し彼らの力ではどうすることもできない障害物が現れたのたらそっとどかしておく、そのほうがきっと彼らも僕たちにとっても住みやすい世界になると思います。